fragment no.7

また一つ、消えようとする昭和の名残。時が止まったその場所は、最後の息吹を静かに僕の頬に吹きかけた。それは、子供の頃に訪れた時と何ら変わらぬ匂いと温度を保っていた。誰だったかな。名前すら憶えてない友だち。よくドロケしたっけ。どうしてるかな。

 

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fragment no.6

思い出のかけらは、まるで生い茂る木々の葉から漏れ広がる太陽の光のように、眩しくて、温かくて、神々しいものだ。僕はいつでもその光を心の引き出しから出しては自身をリセットする。それら全ては僕の人生そのものであり、誰にも見せる事の出来ない宝物となった。急激な変容を繰り返すこの世界で自らの心までも変えられそうになる時、抵抗するかのようにそれらの光が体を覆い尽くす。人には忘れたくない過去もあれば、忘れ去りたい過去もあるだろう。それらはその人が歩んできた1本の道として繋がっている事実は変えられない。現在や未来を見据えても、今の自分を構築したものは全て過去に他ならないし、未来は今この瞬間が過去となり訪れる。幼少期というものは、その後の自身を構築する上で基礎となる大事な時期だ。これから歩む人生を左右するのは、幼少期に心がどう育つかに懸かっている。それは良くも悪くも、死ぬまで自分に影響を与え続ける強力な力となり続けるのだ。子供たちに、愛や希望に満ち溢れた過去を作ってあげたい。人や街、世界は刻々と変わる。まるで、変わらない事が罪であるかのように。どこまでも突き進み、僕らはそれに乗っかるしかない。混迷と焦燥に駆られる世界で僕は、心の引き出しからそっと光を出してみる。その光はとても穏やかで静かだ。

富津へ

デザインを担当しているバンドのアルバムジャケットを作っていた僕は、PCの前で頭を抱えていた。12月27日午後10時。年明けすぐに入稿しなければならない切羽詰まったスケジュールの中、このまま作業を続行すれば、どうにか明日にはクライアントにラフを提出できる。表1用に発注したイラストはギリギリ到着し、前もって撮影したアー写はすでにセレクト、レタッチも済んでいる。素材は揃っていた。しかし、何かが物足りない。このままでいいのだろうかと自分に問いかける。特別に好きなバンドでもあり、自分に妥協は許されなかった。僕は何度もデモ音源を聴き込み、素晴らしい歌詞と曲の世界に惹き込まれ、頭の中に映像となって浮かび上がってくる。これは映画だ。主人公が車に乗り、奇妙な世界へと迷い込むロードムービーのようだった。時間が刻々と過ぎる中、ある曲で僕はハッと気付かされた。この主人公と同じ道を辿り、その場所を訪れ、写真に収めようと思ったのである。曲と写真が織り成す物語が、このアルバムを一層ドラマティックなものにしてくれると確信したのだ。しかしこんな急な夜にカメラマンが引き受けてくれるとは限らない。まして打ち合わせにない事をしてボツになる可能性も十二分にあった。貴重な時間を無駄にできないし、わざわざ危ない橋を渡る必要があるのだろうか。しかし、このジャケットを完成させるにはその場所へ行くしかないという想いが強くなるばかりだった。そして決断した。急いで身支度を終えた僕は、カメラを抱え一人車に乗り込んだ。深夜の道路。車内に大音量で流れるデモ音源。年末のせいか辺りは異様に静かだ。車はノンストップで走り続け、長いトンネルに差し掛かる。何度も通った事のあるこの「穴」が、まるで異次元へと繋がる入り口の様に感じた。2時間ほどで現場に辿り着いた。辺りは暗闇に包まれ、風が強く吹いている。対岸に見える工場地帯の照明が海面をわずかに照らし、その動きから荒れた海がうかがえる。夜空に黒く大きく立ちはだかる鉄の展望台が不気味さを醸し出していた。僕は迷う事なく岬の先端へ向かい、三脚を立てた。強い風が体温を奪っていく。寒さに耐えながらスローシャッターを何度も切った。頭の中で曲が流れる。どこまでも暗く、強い風と共に荒れる海の恐怖を取り除くかのように、サビをずっと口ずさんでいた。年が明け、先日無事にアルバムは発売された。今日このブログを書く少し前に、携帯で何気なくバンドのインタビュー記事を見つけた僕は、少しだけ運命を感じる事ができたのである。僕の急で勝手な行動で捉えた海は、以前、ボーカルの兄がウィンドサーフィン中に不慮の事故で亡くなったその場所だったのだ。歌詞が車と男女で綴られているこの曲が、兄への追悼の曲だという事を今初めて知ったのである。僕がこのアルバムで一番好きな曲だった。

「富津へ 何もない海 消えた 波と 残る波」※

今、大好きなこの曲を聴くたびに、富津の強い風や暗い海、そこへ辿り着くまでの林道、夜空に輝く星と、その時に偶然見た流れ星を思い出す。あの日の決断は僕だけの意思ではなかったような気がする。もしかすると呼ばれていたのかもしれない。富津へ来いと。

 

※「特撮/ウインカー『富津へ』」より抜粋

futtsu

 

 

fragment no.5

地下へ誘導される。照明が等間隔に奥まで連なり、木製枠で囲まれた狭く薄暗い地下は、ホコリとセメントの匂いと労働者でごった返していた。現場監督のかけ声とともに頭上から機械音が聞こえ、やがて木製枠の向こう側を轟音とともにコンクリートが流れ落ちてきた。皆一斉に木槌で木製枠を叩き始める。僕も必死に叩き始めた。どこから漏れているのか、気付けば体中が飛び散ったコンクリートだらけになっている。「お前タッパあるから上の方叩け!」と先輩に怒鳴られ、僕は手を伸ばし必死に上の方を叩いた。轟音の中、何分経ったのかまったく時間感覚のないまま音が止んだ。疲労で腕が上がらない。思わず手首を振って筋肉をほぐすやいなや、現場監督の2度目の合図で再び轟音が僕らを包み込んだ。表参道の246沿いにある建設中の某ビル。その基礎工事現場に日雇いで来た僕は、流されてくるコンクリートに気泡やムラ、隙間ができないよう木槌で木製枠を必死に叩いていた。場所を変えては50箇所ぐらいを永遠に叩き続ける。何百回、いや、何千回叩いているはずだ。ふと隣りを見ると、皆、顔や体をネズミ色にしながら必死で叩いている。地上とはあまりにもかけ離れた轟音に包まれる暗い世界。そこはまるで戦場に来たような気分にさせられた。地上に出ると眩しく、空気のおいしさを実感した。皆たばこに火を着け出す。ゾンビのような顔で先輩が僕に「バリバリだな顔」と笑みを浮かべた。そのビルは表参道のど真ん中に建っている。今でもそこを通るたびに、見えない地面の下にその光景を見るのだ。

fragment no.4(short ver.)

僕が生まれた家はほとんど陽の当たらない旗型の長い通路の先にあって、
午後の一瞬だけその通路と一直線に太陽の光が差し込んで父の盆栽を照らしていた。

 

よく部屋の天井を蛍光グリーンのヘビが飛び回っていた。
母が心配して精神病院に連れて行ったけど異常はなかった。

 

商店街の音楽が、鍵っ子の僕の安心だった。

 

父があしたのジョーの絵を描いてくれた時、すげぇと思った。

 

友達の家で生まれて初めてCDを見た時、
虹色の宝石の様な輝きに大興奮した。
マイケルのBADだった。

 

嫌な事をされたり、している奴の目を見ると、
対象を観察しているような異様に冷たい目をしていた。

 

親が夫婦喧嘩をしているところを見た記憶がない。

 

ローソクのゆらめく炎をじーっと見つめてた。

 

音楽の授業で先生がクラシック音楽をかけると、
なぜか目の前にギリシャの風景が広がって心地よかった。

 

中一の時の席替えで、クラスのマドンナと偶然にも2回連続
隣同士になってしまったことに対して妬んだ男子クラスメイトが、
僕に嫌がらせを始めた。僕からすればこのマドンナ、
別にどーでもええわ、と思ってた。

 

テストの点数や通知表がどんなに悪くても、
親に叱られた記憶がない。

 

割り箸で作ったゴム鉄砲と懐中電灯を持って、
等々力不動に口裂け女を探しに行った。太ちゃんと。

 

スタローンの映画「ランボー」で、
パックリ割れた腕を自ら糸で縫うシーンを見て、
スゴイと思った。

 

生まれた家は8畳一間とボットン便所。
お風呂は庭に置かれたカプセル型浴室で家の窓からまたいで入っていた。
雨の日は背中に一瞬当たる雨が嫌だったけど、
その他は何も不自由を感じない大好きな家だった。

 

野良犬に追いかけられて泣きながら逃げた。
今思えばあの犬、コリーだ。

 

僕らガキんちょがうるさくて、
いつも家の中から怒鳴り声を上げていた近所のお兄さん、
通称「こわいおにいちゃん」の顔を一度も見たことがない。

 

昔の二子玉川を知っている人は、
今の二子玉川をそんなに好きじゃないと思う。
みんな立ち退き料いくらもらえたんだろう。

 

18の夜、深夜放送でやってたツインピークスほど
待ちこがれたドラマはない。

 

地元のレンタル屋「ソクラテス」で「なんだこのヒト気持ち悪い」
と思って手に取ったVHS以降ファンになってしまった「清志郎」。
中1になったばかりの頃の思い出。

 

アンテナの向きを駆使してやっと受信できてた
神奈川テレビの洋楽チャンネル。「なんだこのヒト気持ち悪い」
と思って観ていた以降ファンになってしまった「アクセル・ローズ」。
中1になったばかりの頃の思い出。

 

熱を出すと、決まって見る夢があった。
本当に怖くて泣きじゃくっていた。
四方八方を油だらけの歯車たちに囲まれ
じわじわと近づいてくる夢。

 

体育館での全校集会。理由は忘れたけど舞台に呼ばれて、
袖の階段を昇りきった時にコケてしまった。みんなに大ウケ。
女子からはちやほやされるは、未だに親もその話を笑いのエピソードとしてしゃべってる。
でもあれね、実はウケを狙ってわざと転んだんだ。

 

1時間目の休み時間、校庭でスネに大ケガをした。
保健の先生に早退して縫ってもらいなさいと言われるくらい
骨らしきものが見えて靴下は血だらけ。
僕は断固として帰りたくないと叫び教室へ戻った。
理由は、その日の給食が揚げパンだったからだ。
実際、揚げパンをしっかり食べてからソッコー帰った。

fragment no.3

銀座の采女橋交差点にホームレスのおじさんがいた。仕事の打ち合わせで訪れ信号待ちしている僕に「おにいちゃん、捨てる服があったら今度持ってきてくれ」と若干上から目線におじさんから声をかけられた。僕はためらいなく「ああ、いいですよ。」とだけ返事をしてビルに入っていった。打ち合わせが終わってビルから出ると、道路の反対側にいるおじさんが横になりながら僕に向かって手を挙げた。僕もためらいなく手を挙げ返した。2度目にそこを訪れたのは1ヶ月後くらいだ。服の事などすっかり忘れてしまっていた僕は、その交差点に着いた時にふとその事を思い出した。おじさんが居た交差点の角に目をやると、敷物と荷物らしきものは置いてあるがおじさんはいない。服を忘れた事に後ろめたさを感じた僕は少し安心した。打ち合わせが終わってビルから出ると、道路の反対側に下を向きながらよたよた歩いているおじさんが見えた。「あ」と思った矢先、おじさんがこちらを向いて、僕に向かって手を挙げた。僕は軽く会釈をして「忘れたー。今度ね。」と大きめの声をかけた。おじさんは中指ではなく、親指を立てた。すれ違うOLが僕とおじさんを交互に見ていた。「憶えてたんだなぁ」と少し感心しながら僕はその場を後にした。それ以来、銀座まで打ち合わせに行く機会がなく今に至っている。